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2008年5月

2008年5月31日 (土)

「死ね」という書き込み

  北九州市の高校に通う女子生徒が、自らのブログに「死ね」と書き込まれたのを苦に自殺したことが分かりました。同校では31日午前、保護者集会を開き、経過を報告したそうです。

 ブログなので、誰が「死ね」って書き込んだかは調査すればすぐにわかると思います。それにしても直接は言えないけれど、顔が見えない安心感から生み出される誹謗中傷。書き込んだ本人もあまり罪悪感を感じない書き込めるシステム。だからネットワークは怖いのです。おそらくいろいろなサイトでものすごい量の誹謗中傷が書き込まれているのでしょう。顔が見えないという妙な安心感が作り出しているのだと思います。そして、ものすごい数の人たちがその書き込みで傷ついているのだと思います。切ないです。

 100%書き込んだ人が悪いに決まっています。がしかし、ネットワークというものは、必ずしも善良な方だけが使っていないというのも現実です。むしろネットワークという存在が人の心を狂わせているといった方が適切かもしれません。顔が見えない安心感というのは本当に怖いのです。

 ネットワークの使い方に関しては大人よりも子どもの方が吸収率が高いです。だから、大人が教え切れていないことも問題を悪化させています。だからといって、「ブログをしちゃいけない。」「携帯電話でメールをするのはダメ!」という考え方もどうかと思います。結局は『相手はどんな気持ちかな。』ということです。このことを書き込んだら、このことをメールしたら、相手はどう思うかなということでしょう。要は人としてどうかということです。

 ただ、ネットワークに関わる以上、誹謗中傷は覚悟しておかないといけません。ネットワークという見えない関係で世界中の多くの人と繋がっているのです。それ自体は素敵なことではありますが、ものすごく恐ろしいことでもあります。善良な方もいるでしょうが、そうでない方もたくさんいます。何も考えずにあなたを傷つけようとか、悪いことに誘おうって考えている人もたくさんいます。このことがわかった上で、ネットワークを使わないと。こういう世界だということがわからないなら使ってはいけません。そして、大人がこういう世界であることを教えられないのであれば、子どもに使わせてはいけません。

 二度とこういう惨劇を起こさせてはいけません。

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2008年5月30日 (金)

電車でGO!

 学年活動がありました。市の環境施設に出向き、廃油を利用した石けんを作ります。例年、4年生の学年活動は土曜日に行われていたとのこと(理由はわかりませんが。)。となると、当然、行けない子どもがいるわけです。学校の活動ですから、主役がいないと話になりません。というわけで学級代表の方には平日の案で考えていただきました。あっさり了承されました。では、次に行き方です。土曜日なら保護者が現地まで車等で連れて行くことができます。しかし平日です。学校の活動です。選択肢は2つ。1つは貸し切りバスか、もう1つは公共の交通機関を使うか。もちろん、後者です。貸し切りバスを使わないと考えたのは、値段が数倍違うことと、もう1つは公衆道徳を学べるいい機会だと判断したからです。

 学校から駅まで25分歩いて到着。そして電車に乗り込みます。他のお客さんから見ると、この小学生の団体、あまりいい感じがしません。だってうるさいだけですもん。まあ、思いっきり静かにしている小学生の団体の方が何か気持ち悪いですがね。しかし、がやがや騒いでいても、途中の駅でお客さんがどっと入り込んできたら、それなりに彼らは考えるのです。席を立ったり、静かにしたりするのです。中にはお客さんの1人に「あなたは子ども料金で半分しかお金を払っていないのだから、座ったらダメよ。」と言われた子もいます。この発言に関しては賛否がありますが、こういうことが言われたりすることが公衆であり、社会であります。この経験は貸し切りバスの中ではできません。

 1度経験すると机上の空論ではなくなります。次に生かせます。というか生かすのが僕らの仕事ですがね。今度浄水場の見学には路線バスを活用していこうと同学年の先生と話しています。同学年の先生は価値観がどちらかというと同じ方向を向いているので面白いです。 

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2008年5月29日 (木)

模造紙

 数日前、教室でプロジェクターを使って映像を見ていたときのこと。天気が良く、スクリーンにクリアに映りません。まあ、いつものこと。授業終了後、プロジェクターを片づけようと向きを変えたところ、光が黒板の方に。黒板を見ると、映像が結構クリアに映っています。そこで、近くにあった画用紙を黒板に貼ってみてみると、予想以上にクリアに。ということで、今日は黒板に模造紙を貼って、それをスクリーン代わりにしてみました。

 教室のスクリーンはOHP用でスペースの関係か、壁や黒板に対して斜めに設計されています。だから、そのスクリーンを見るとなると、子どもたちは席は動かさないといけないし、見づらいし、何よりプロジェクターのフィットする位置がややこしいのです。しかし、黒板にするとみんなが見えやすいし、位置も簡単にフィットするし、とてつもなく良いのです。

 学校備品で黒板に貼るスクリーンがあります。あんなものは高くて買えないと思っていました。模造紙で十分です。もちろん完璧にクリアな映像は期待できないですが、ちょろっと教室で見るなら模造紙は使えます。

 今日はAgreeで作った総合的な学習用教材を見ました。映像は効果的です。見終わった後の感想はどの子もすごい量でした。「モノがない。」って文句を言うのは簡単です。だからこそ、発想の転換が必要なのかもしれません。

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2008年5月28日 (水)

実習生の授業

 教育実習生の初めての授業。自分のクラスを他の人が授業をするのを見るのは新採の時以来。ちょっとおもしろいです。それにしても授業する側は緊張するでしょうね。僕も十数年前に同じ立場を経験しましたが、1番最初の時は度を超える緊張感でしたから。

 他の人がする授業を見ていると気づくことが多いです。今日は45分の間にもいろいろなことに気づきました。今日は算数の「大きな数」でしたが、億とか兆とかには○をつけた方がわかりやすいのではとか、数字の中に最初から0を入れない方がいいのではないかとか。特に算数の場合はスモールステップを踏んでいかないといけないなぁって感じました。

 授業は誰かに見てもらわないと上達しませんが、他の人の授業を見る機会もすごく大切だと思いました。本当は自由気ままにいろいろな人の授業が見られたり、いろいろな人に授業を見てもらったりできればいいのでしょうが。なかなか難しいのが現実です。だから、見てもらえる、見られるっていう機会は絶対に大切にしたいですね。

 初授業が終わりました。お疲れさまでした。あと7時間あります。ちなみに明日は道徳です。明日もファイトです。

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2008年5月27日 (火)

教務だより

 教務の先生が時折、職員向けに『教務だより』なるものを発行して下さいます。内容は、授業づくりだったり、教育課程のことだったり。これが結構面白いのです。理論ばかりでリアリティのない教育雑誌に比べて(別にそれが良くないというわけではないですが。)はるかに現実的なものです。発行当初からファイルにとじているのですが、それなりの枚数になってきました。

 今、算数で、「大きな数」の学習をしています。ふと、教務だよりに大きな数の授業内容が載っていたことを思い出し、読み返しました。指示の内容など詳しく書かれており、そのまま使えるものでした。ということで、そのまま使わせていただきました。

 教務の先生は「担任がいいよ。」って言います。なぜかというと授業ができるからです。もちろん今でも授業をされてますが、数が限られます。教師の仕事の1番魅力的なものは何といっても授業づくりです。学校生活の大半が授業ですからね。僕たちのように普通に担任を持たせていただいて、普通に授業づくりができ、普通に実践することができる幸せをかみしめながら、明日も仕事、がんばりましょう。(そういえば、昨日も文末が明日もがんばりましょうのような類だったような・・・。こうやって自分自身を鼓舞しています。)

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2008年5月26日 (月)

誰かがやってくれるだろうの誰か

 教育実習がスタート。実習生よりも僕の方が完全に緊張しているよう。でも、こういう経験は面白いですね。まあ、教育の現場にいると惰性で過ごしがちになりますので、適度なスパイスを自分で見つけて、刺激を与えないといけないと思います。

 夜はPTAの会合。みなさん、お疲れさまです。でも、今日の会合は良かったです。何といっても今日のスペシャルヒットはPTA会長のあいさつ。PTAの役員の大変さを重々承知した上でこの一言。

『誰かがやってくれるだろうの誰かは、自分も含まれているということ。』

 このことばにドキッとされた方も多いのではないでしょうか。僕たちは日常的に、こういう他人任せの発想を自分の中に取り巻いているところがあります。他人任せのくせに、文句だけは一人前に言うのです。情けない・・・。

 誰かがではなく、自分に何ができるか。物事を進める原点はそれです。1歩踏み出すのは他人ではなく自分です。他人に踏み出してもらっているようではダメです。間違っても、失敗しても自分で踏み出すから価値があるのだと思います。

 さて、明日も1歩踏み出しましょう。自分で。 

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2008年5月25日 (日)

「みんな」は難しい

 今日は朝から、地域の溝掃除。今回から地域の清掃活動に特別な理由なく参加しない場合はお金を払わないといけません。そういうシステムがいいのかどうかは分からないけれど、やる人はやるし、やらない人はやらないっていう状況になれば、当然やる人からすれば不満がつのります。これはPTAの活動も似ています。やらなくちゃいけないことをみんなでできる限り平等に負担できればいいのでしょうが、なかなか難しいのが現実です。学校によっては、完全に1人1作業で分担を振り分ける場合もあるようですが、人数の兼ね合いとかでまたまた問題が生じます。「みんなで」という意識を、ごく当たり前に「みんなが」持てばいいのでしょうが、なかなか「みんなが」そうはいかないものです。

 家庭事情もさまざまです。小さい子どもがいたり、介護していたりして、どうしても地域やPTAの行事に参加できない場合も考えられます。まあ、不満がつのる場合はそういうパターンではなく、出られるにも関わらず、出ないパターンなのでしょうが。それも家庭事情といってしまえばそれまでかもしれませんが。

 金子みすずさんの「みんなちがってみんないい」。みんな違います。お互いがその違いを認識する必要があります。お互いが、です。一方がお互いの違いを認識してしても、他方が自分の違いだけを主張していたら、「みんないい」ではなくなります。って、本当は「みんな」分かっているのでしょうがね。  

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2008年5月24日 (土)

ボーリング

 ボーリング場へ。最近のボーリング場はいろいろな催し物があって面白いです。例えば、突然赤いピンが登場して、このピンだけを倒さずに残りの9ピンを倒せば 無料券プレゼントとか、突然音楽が流れ出し、この間にストライクを取ればお菓子をプレゼントとか。ボーリングって、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで楽しめるからいいです。娘2人もそれなりに興奮しながらやっていました。

 物理の勉強で運動エネルギーは重さに比例し、速さの2乗に比例すると習いました。というとでボーリングのときはできるだけ重い玉でしかも思いっきり速い球で投げるようにしています。しかも、僕が投げる玉はなぜか、右に曲がるので(多分心が曲がっているからだと思いますが。)、あらかじめそれを計算した上で、投げます。ほんの少し前までは、その投げ方でかなりの高得点がとれました。しかし、最近はどうもいけません。だいたい、今日は投げる前から筋肉痛です。なぜかと考えたら、昼休みのドッジボールのせいです。ドッジボールごときでです。完全に老化現象です。さらに重いボールを持てません。今日は1ランクボールの重さを下げてしまいました。しかも、ボールの曲がり方が一定ではありません。ボロボロです。

 がしかし、赤いピンの時だけうまく投げることができて無料券をゲットしてしまったため、またボーリング場に行くはめになりました。しかも、無料券の期限が来月いっぱいです。さしあたって、筋肉痛にならないように、最低限の筋力は鍛えておかないと。年をとったのでしょうか、それとも、単なる運動不足なのでしょうか。やっぱりアルコールのとりすぎだろうか。今日も週末だからといって結構飲んでしまったし・・・。 

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2008年5月23日 (金)

アダルトと向き合う

  「アダルトゲームで青少年は心を破壊され、人間性を失う。」と民主党の円より子参議院議員らが提出したアダルトゲームの規制を求める請願に対し、同議員のインターネットサイトの掲示板に、数百件の批判的な意見が寄せられているそうです。「街中に氾濫している美少女アダルトアニメ雑誌やゲームは、小学生の少女をイメージしているものが多く、このようなゲームに誘われた青少年の多くは知らず知らずのうちに心を破壊され、人間性を失っており、既に幼い少女が連れ去られ殺害される事件が起きている。」と指摘しています。これに対し、掲示板には「雑誌やゲームが全て犯罪の元と言いたいのか。」「ゲームユーザー及び製作者に対してあまりにも偏った失礼な発言だ。」「美少女ゲームを嗜む大人だが、自分の心も壊れているのか。」といった批判的な意見が寄せられたそうです。

 アダルト的情報は至るところで氾濫しています。僕が子どものころから氾濫していました。テレビからは流れるし、本や雑誌はいっぱいあるし、友達からの謎の情報は提供されるし。それを遮断することは不可能です。さらにインターネットが当たり前になった昨今、ボタン1つでわいせつな画像や動画を手に入れることは子どもでもたやすいことです。フィリタリングをかけたところで、パソコンに詳しい子どもなら、簡単に解除するでしょう。「寝た子を起こすな。」と良心的に考えたとしても、子どもたちは完全に起きているのです。

 アダルトの世界は虚の世界です。ここがアダルトと向き合う原点です。嘘なのです。フィクションです。だから正しい情報を伝えないといけないのです。見せてはダメと大人が考えても、勝手に情報が入ってくるのです。だからこそ、その情報が正しいかどうかの知識を教えないといけないし、また、自分自身がその情報が正しいかどうかを判断できる力をつけさせないといけないのです。それが大人の役目です。

 あれもダメ、これもダメ・・・。排除するのは簡単です。それに排除すれば、責任は自分以外に移りがちです。でも、排除できないですよ。そういう世の中なのだから。向き合いましょう。もちろん、政府として見せて良いものと見せちゃいけないものの基準を作ることは大切です。ただ、アダルトという陰に隠れる部分だからこそ、堂々と考えてもらいたいですね。

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2008年5月22日 (木)

評価するということ

 明日の新聞に投稿した文が載ります。まあ、このブログに書いた記事を要約したものですが。たまに新聞に投稿したい気分になります。新聞社に投稿すると良きにつけ悪しきにつけ誰かに評価されることになります。評価されると次へのエネルギーになります。認められれば、次もがんばろうと思うし、認められないと、次こそがんばろうって。

 教室でも子どもたちにたくさん評価する場を設けるべきだと思います。授業中は何度も先生のところへノートを持ってこさせて、○をつけたり×をつけたりします。おもしろいことに×をつけられた方がやる気になるのです。だから、「×をたくさんもらえばもらうほど、がんばったという証拠。」と言います。

 宿題も評価します。AやB、Cをつけます。すごくがんばった子にはAに○をつけます。すると大興奮します。だから、僕は出しっぱなしの評価できない宿題は出さないようにしています。それに、宿題のノートはその日のうちに返すようにしています。なぜなら、評価の結果を子どもたちが早く知りたいからです。子どもたちは評価されたがっています。

 そして、みんなが×や低い点ばかり先生からもらっている中、あまり目立つことのない子が◎をとったとき、僕は大げさに「すごい二重丸だ。」と言います。教室は一瞬の静寂の後、鉛筆を進めるスピードが一気に上がります。教室が進化する瞬間を感じます。だからこそ、全員を鍛える授業を仕組んでいかないといけないのだと思います。そのためのすばやく、そして的確な評価をする力、どんどんつけていかないといけません。 

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2008年5月21日 (水)

チャンス

 来週から教育実習生がやってきます。担当することになりました。初経験です。少し緊張します。校長先生からそういう話があったときに、「前途有望な人なのに、僕みたいな人でいいのでしょうか。」と尋ねたら、「構わない。」と。

 竹村健一さんの言葉、「チャンスと思ったら、何も考えずにつかんでしまうことだ。」僕にとっては、自分を見つめ直す最高のチャンスです。もちろん、実習生にとっても意義のある2週間にしないと。

 あまり何も考えず、実習生担当という任務をつかんでしまいました。さあ、ここからです。つかんでしまったあと、どのようにしていくか。チャンスを生かすも殺すも、これからの自分にかかっています。

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2008年5月20日 (火)

宿泊学習のお手伝い

 5年生が宿泊学習中です。ということで、勤務が終わって、宿泊学習先にお手伝いに向かいます。それなりに飛ばして1時間で到着。手伝いといっても、大したことをするのではなく、キャンドルサービスの時のちょっとした出し物をするだけですが。しかも、毎年、あいうえお作文を。進歩がない・・・。

 宿泊学習をしている自然の家には「自律・協力・奉仕」と掲げられています。この3つは宿泊学習だけではなく、これから先、生きていく上でもすごく大切な3つになってきます。この3日間で、この中の1つでも得るものがあればいいかなって思います。それにしても3日間子どもも大変だけれども、一緒に活動している先生方は強烈に大変です。今回の引率は担任2人と養護教諭と校長の4人。この4人で、昼夜問わず3日間子ども全員を見ているんだから。お疲れさまです。

 家に戻る途中、車から見える月がまん丸でした。何気ないこういう自然現象の1つにエネルギーをもらいます。宿泊学習は明日で終了です。

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2008年5月19日 (月)

ベビーカー議論勃発

 ベビーカーを開いたまま電車に乗るか、それとも折りたたむか。電車内でのベビーカー使用マナーについて、議論が起こっているそうです。折りたたむのは、ベビーカーを利用する母親には負担が重いです。かといってそのままだと、場所を取り、じゃまだ、と感じる人も多いです。

 以前、あるデパートでのエレベーター内の話。中は混雑していました。屋上から降りてきて、ようやくあと1階で下まで行くという時に2階で止まってしまいました。扉が開くと、ベビーカーを押した若い女性の姿が。エレベーターの混み具合を見たその女性は、「次に乗ります。」と言い、扉が閉まりました。その後のエレベーター内でのある女性2人の会話。「何で、わざわざ2階から乗るのよ。」「だって、ベビーカーがあったからじゃないの?」「そんなもの抱えていけばいいのよ。」・・・って。そりゃないでしょ。

 この話はエレベーター内のことなので、電車内とは違います。しかし、結局のところ、折りたたむかそのままかの問題ではなく、『譲り合いの気持ち』とか『相手の気持ち』とかが考えられるかといったところなのでしょう。自分の思いばかり主張すると心が窮屈になります。周りが見られなくなります。その時々で相手の立場も変わります。譲り合い、お互いのことを考えれば、おのずとその時にすべき答えは見えてくるのではないでしょうか。

 折りたたむべきと考えている多くの意見が、「最近のベビーカーを押す人のモラルの欠如」です。赤ちゃんのためというよりも、自分の都合が優先されているからでしょう。この問題で1番優先されるのが「赤ちゃん」であること。議論の中心もそこでないといけないのでしょうがね。

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2008年5月18日 (日)

携帯電話を持たせない提言

 政府の教育再生懇談会で子どもを有害情報から守るために、「小中学生に携帯電話を持たせない。」との提言を、今月末にまとめる中間報告書に盛り込む方針を決めたそうです。この『くさいものにふた』的な発想、ん?本当にいいの?

 小学生の3割、中学生の6割が携帯電話を使っている現在、持たせないということは今さら不可能なことです。この提言には強制力はないそうですが、保護者をはじめ社会に対するメッセージとするねらいがあるようです。つまり、中途半端な提言ということです。

 携帯電話って便利な道具だと思います。でも、我が子には持たせないと思います。あまり必要性を感じないからです。どうしても必要であれば自分のを貸します。まあ、高校生くらいになって自分がアルバイトして電話代を稼ぐのであれば、構わないと思いますが。しかし、実際にはかなり多くの小中学生が携帯電話を持っているわけです。小中学生がネットワークに関する知識もなく携帯電話を持ったらどういうことになるかなんて、考えたらわかるでしょう。興味本位に走るに決まっているじゃないですか。画面上の狭い世界にどっぷり浸かるの決まっているじゃないですか。それなりに知識のある大人でもそうなんだから。

 だから知識を教えないとダメなのです。ただ与えたらダメなのです。便利な道具の光の面と影の面を教えないとダメなのです。それをきちんとわかった上で与えないと。「うちの子テレビゲームばっかりして困るんですぅ~。」と言いながら、テレビゲームを買い与える親と同じ感覚ではダメです。

 中途半端な提言では、ネットワークの問題は解決しないように思います。『くさいものにふた』的な発想ではなく、使い方を教えることの方が大切だと思いますが。『くさいもの』はふたをすれば一時的には効果がありますが、将来的にはどうなんだろう。ふたをしてしまったことで経験できなかったり、学習できずに大人になってしまう方がまずいこともあるんじゃないのかなあ。

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自己満足

 昨日は1年に1度寄る串揚げ屋さんに。お子様連れ大歓迎のこの店。店員さんの優しさに、こっちまで優しくなります。相変わらず串揚げがおいしいです。島らっきょうの串揚げが特によかったです。ビールが進みます。プリン体が気になるので、2杯だけで我慢しましたが。

 串が12本出てくるのですが、1つ1つ丁寧に説明してくれます。そのうちの1本。店長さんが自ら持ってきて、「自己満足の品です。」と。鰹の明太ソースがけでした。パサパサ感がなく、ピリッとした明太と実に合う品でした。「すごくおいしいですねぇ。」って伝えると、えびせんをサービスしてくれました。

 自己満足。本当はここで終わってはいけないのでしょうが、まずは自分自身が納得しないとね。中途半端なままなら、誰にも思いが伝わらないから。 

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2008年5月16日 (金)

ロンドンハーツ

 日本PTA全国協議会は小学5年生と中学2年生の保護者らを対象に、「子どもとメディアに関する調査」の結果を発表しました。子どもに見せたくないテレビ番組の1位は5年連続で『ロンドンハーツ』だそうです。ある意味すごいですね。見せたくないと思われていても、この番組は2001年から始まっています。ここ最近のテレビ番組の流れから考えても、結構長寿番組です。視聴率も他局のドラマの出来もあるのでしょうが、放映時間帯ではトップらしいです。

 番組に対して、いろいろなことを言う人がいます。「見せたくない。」という最大の理由は「子どもが真似をするから。」です。真似させたくないなら、「真似してはいけない。」って言えばいいのに。親がほんの1時間だけ登場する芸能人の影響に負けてどうするんですか。親の威厳がないじゃないですか。寝た子を起こすな、なんて発想では世の中を生きていけないですよ。世の中にはきれいなものだけではなく、汚いものもたくさんあるのだから。取捨選択する能力を子ども自身につけさせないと。親が汚いものだけ取り除いたって、限界があるんだから。

 ドラマにしろバラエティ番組にしろ、あれは虚の映像です。それを分かった上で見ないと。ただ、最近のお笑い番組の発言には首をかしげることが多いです。僕の横で同じ番組を娘が見ているときもあります。僕は番組を見せない姿ではなく、おかしなことに首をかしげる姿をきちんと娘に見せたいと思います。

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2008年5月15日 (木)

需要と供給のズレ

 ガソリン代が元に戻ってから初めて給油しました。今日はサービスデーだったのですが、1リットルあたり150円。この地域の中では最安値ですが、高すぎです。40リットル入れるとすると、6000円になります。1リットルが120円ならば5000円券を買っても200円分余るのに、5000円券じゃ、1000円も足りなくなります。ビックリです。我が家の懐事情も心配ですが、みなさん生活できているのでしょうか。それにしても、ガソリン代が上がって、誰が得するのだろう。本当に上げないと、日本という国はやっていけないのでしょうか。

 勤務校にプロジェクターが9台もあります。もともと2台あったのですが、昨年度7台も頼んでもないのに、市から配給されました。市としては各学年に1台といった考えなのでしょうが、ほとんど使われていないのが現状です。本当は各学年の教室で使えたらベストなのでしょうが、映すスクリーンがありません(まあ、買えばいいのでしょうが。OHP用のスクリーンはありますが、暗すぎて見えません。)。どうも需要と供給の関係がズレているような気がします。こちらがこれを下さいというものではなく、勝手にくれるのです。まあ、くれるに越したことはないのですが、もっと正しいお金の使い方ってあるんじゃないのかなぁ。市はその物の必要性とか調査したのかなぁ。

 ガソリン代をはじめさまざまな物の値段が上がっています。経費削減が叫ばれる中、使いもしないものが勝手に供給される現状。本当にこれでいいのかなぁ。これって、無駄な道路づくりと似ているような気もしますが。

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2008年5月14日 (水)

よいこととわるいことってなに?

Photo  本屋さんでふと目に入った『こども哲学 よいこととわるいことってなに?』という本。おもしろいです。いろいろな角度から物事を考えています。例えば、「おなかがへっていたら、どろぼうしてもいいとおもう?」の問いに対して。こんなことはダメに決まっています。しかし、「そうだよね、でも・・・おなかがぺこぺこで死にそうだったとしても?」「それって、食べるものにこまってないひとのりくつじゃない?」と切り替えされます。こうして「そうだよね、でも・・・」と繰り返しながら、なぜ?なのかを考えていく本です。この、なぜ?って考えることが大事なのでしょうね。

 子どもたちに「廊下を走ってはいけません。」って何百回言っても走ります。おそらく廊下に超高級花瓶をいくつも置かない限り走るでしょう。まあ、花瓶置いても走るかもしれませんが。だから、なぜ走ってはいけないのかを問わないといけないのでしょうね。子どもたちは、おきまりのごとく「危ないから。」って答えるでしょう。じゃあ、「なぜ危ないのか?」「危なくなければ走ってもいいのか?」と問わないといけないのでしょうね。決まりきったレールを大人が作るのは簡単です。もちろんそのレールには理由があります。しかし、子どもたちに浸透しているのは、レールの本質的な中身の理由ではなく、「廊下を走ったらダメらしい。」という表面的なものだけです。

 ケガをして保健室に行くとき、子どもたちはたいていきちんと「失礼します。」と言って部屋に入るようです。そして、処置してもらった後、部屋を出るときには「失礼しました。」と、きちんと言うようです。がしかし、最も大事な部分が欠けているそうです。処置してもらっての感謝の気持ち「ありがとうございます。」がないのです。「失礼します。」「失礼しました。」というのはマニュアル的に子どもたちの中に浸透しています。まあ、「廊下を走ってはいけません。」「どろぼうしてはいけません。」のようなものです。しかし、1番大事な部分が忘れ去られているのです。これってなぜなのだろう?

 なぜ?を考えましょう。表面だけ、マニュアル通りでは身になりません。その場限りです。もちろん時と場合によって答えは違います。だからこそ、その時々のなぜ?を考えることが大切なのでしょうね。大人が作るレールはあくまでも手本です。そのレールを参考に、これからは子ども自身が自分のレールを作り上げないといけませんからね。手本のレールが薄っぺらなものにならないようにしないと。

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2008年5月13日 (火)

面と向かって聞く

 今日は参観日で授業参観に懇談会があり、さらに夜はPTAの話し合いとスペシャルな日でした。家に帰ったら10時を過ぎていました。いったい何時間学校にいるのだろう。今日が火曜日であるということにビックリです。

 しかし、最近学校という場にいるとたくさん『学ぶ』ことができるので、学校にいると良い場合もあります。今日もある保護者から自立する子の育て方を聞きました。同学年の先生からもいろいろな指導法を聞けます。すごくためになります。

 その人と面と向かって話を聞くと心にずしんと響きます。これはすばらしい教育や育児の本を読んでも味わえない感覚です。最近はメールなど画面上での会話が主流ですが(このブログもそうですが。)、面と向かってパワーには勝てません。人から直接学ぶ、これはその人の生き様そのものを感じることでもあります。人の美しさは画面では伝わりませんからね。

 それにしても、今日は遅くまでみなさんお疲れ様でした。

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2008年5月12日 (月)

さくらももこさんに学ぶ

 娘が寝る前に読んでというので、絵本を読みました。『ちびまる子ちゃん まる子が生まれた日』。読みながら、途中で泣きそうになりました。「家族」を感じるいい話です。

 さくらももこさんの書く文章は、極めて面白いです。新採の頃、ももこさんの「もものかんづめ」の中の短編を印刷して「文章を書く手本」として子どもたちに配ったことがあります(完全に、著作権乱用ですが)。ももこさんの文章の特徴は、『自分』が主人公なんだけれど、全く飾り気のないありのままの『自分』を表現しているところです。「素直な文章」といってしまえばそれまでなのかもしれませんが、それがなかなか普通書けないのです。

 書けない理由は①体験や経験がないこと。②体験や経験があっても、心に響いていないこと。③心に響いていても、文章に表現する力がないこと。があげられます。僕たちは子どもに、「自分の思ったことを素直に書きなさい。」なんて言いますが、経験がない、心が育っていない、文章表現力がないでは、教師のこういうセリフは単なる嫌味になります。

 子どもの文章は先生の力量を反映していると思います。良い文章が書ける子に育てないと。そのためにもいろいろなことを経験させ、心を育み、文章表現力を鍛えることです。嫌味を言っても、成長しないしね。

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2008年5月11日 (日)

Mother’s Day

 母の日です。ここ最近はCMの影響で娘2人とでカレーを作ります。今回はレベルアップでオムカレー作り。近くのスーパーで材料を調達。今回は娘2人だけで買い物。一応、僕はスーパーの中までついていって、その後は雑誌コーナーで立ち読み。雑誌を読んでいたら、いつの間にか買い物が終わっていました。あらら。

 本当は今日1日だけではなく、毎日が母の日でないといけないのでしょうがね。母には感謝です。

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2008年5月10日 (土)

心の琴線にふれる言葉

 雨の中、本屋さんへ。本屋さん大好きです。ふと目に入った本がありました。齋藤孝さんの本です。「心の琴線にふれる」という表現に惹かれ、思わず買ってしまいました。その中から『人間の限界 霜山徳爾』

Photo かつて「シベリアおもちゃ」という言葉があった。もう若い人は何のことか判らないだろう。戦後、ソ連に抑留されて長い強制労働に服した日本人捕虜が、収容所内で拾ってきた小さな木片などをたんねんにきざんでつくった櫛とか人形などの細工物のことである。「よほど退屈でひまをもてあましたのですね」とある学生はその話をきいて言った。私は思わずこの体格の良い、マンガの本をかかえた若者の顔をまじまじと見てしまった。捕虜たちは毎日の重労働で、ひまな時間などありはしなかった。あるのは飢餓と疲労だけで、手すさびなどするどころではなかった。それにもかかわらず彼らに「シベリアおもちゃ」をつくらせたのは何か。それは、このような非人間的な状況の中でも、なお人間でありたいという無意識の哀しい願いである。

 心に響かない若者の姿が胸に突き刺さります。でも、「知らない」というのはそういうことなのかもしれません。もっとたくさんのことを知らないと。視野を広げないと。でないと、人間なのに『人間』に気づかないままでいるかもしれないから。

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2008年5月 9日 (金)

赤ちゃんポスト

  育児が困難な親が匿名で乳児を託せる熊本の慈恵病院の「赤ちゃんポスト」が設置されてから1年が経ちました。この1年で少なくとも16人が預けられたそうです。育児放棄の助長につながりかねないとの批判がありますが、病院側は救いを求める女性に果たした役割を強調しています。赤ちゃんポストは、乳児がごみ箱などに産み捨てられ死亡するのを防ぐため、緊急避難措置として設けられました。病院の理事長は設置当時、「赤ちゃんを預けるのではなく、できるだけ相談をしてもらいたい。」と安易な利用を避けるよう呼び掛けました。しかし、運用開始から数時間後に、3歳前後の男児が置かれ、その後も、ほぼ毎月置かれました。捜査当局は子どもたちのいずれにも外傷がなく、健康状態が良好なことなどから、虐待などの事件性はないとはみているようです。

 「赤ちゃんポスト」に関しては賛否両論あります。僕も正直なところ、どちらがいいのかわかりません。赤ちゃんポストのおかげで16名の命が助かったともとられます。でも、「親」って何なのだろうとも考えます。育てられないのに、なぜ産んだのだろう。あまりにも無責任ではないのかって。もちろん、それぞれの事情はわかりません。僕たちが想像できないほどの事情があったのかもしれません。でも・・・。

 マンボウという魚は1度に3億の卵を産みます。3億です。すごい数です。だからといって、海の中はマンボウだらけかというと、全然そんなことはありません。むしろ、全く見かけないというくらいです。なぜ3億も産むかというと、親が育てないからです。産みっぱなしなのです。たくさん産んで、そのうち1匹でも育てばいいや的な超無責任な発想なのです。だから、マンボウの子どもたちは成長する前にほとんど死んでいきます。しかし人間はマンボウとは違います。生まれてきた命に対して、愛情を惜しみなく注ぎます。それが本当は当たり前のことだと思うのですが。

 「赤ちゃんポスト」に子どもを預けた親はマンボウ的な発想とは違うと信じたいです。だから、いずれ病院に引き取りに来ると思います。でないと、やっぱりおかしいと思います。

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2008年5月 8日 (木)

パンダのしっぽ

 中国の偉い方が日本に来ています。パンダをどうのこうのという話が出ています。あっ、名前思い出しました。胡錦濤さんです。まあ、話はパンダ以外のことがメインですが。

 突然娘に「パンダのしっぽの色って白でしょうか、黒でしょうか。」と質問されました。「そりゃ、黒でしょう。」と言うと、「ブッブー。白でした。」って。えっ、そうなんだ。

 パンダの載っている本を見ると確かに白いです。というか、体の白の面積が結構多いような気がしました。どうも勝手に「しっぽは黒」って思いこんでいたようです。たいていのぬいぐるみのパンダはしっぽが黒いような気がします。これも勝手な先入観なのでしょうか、それともわざとなのでしょうか。

 この程度の思いこみは誰も傷つけないからいいですが(パンダは傷ついているかも。)、僕たちは変な先入観でモノを見てしまうことがあります。耳に入ってくる不確かな情報だけで、勝手に判断してしまうこともあります。いけませんね。情報は必要ですが、情報はあくまでも参考にとどめておかないと。でないと、本当はきちんと見ないといけない面が、先入観が邪魔してしまい、ぼやけてしまいますからね。

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2008年5月 7日 (水)

音読の宿題

 勤務校の今年の研修の柱は「表現力の育成」です。アプローチは国語科から。で、表現力を育成していくために、どのように仕組んでいくのかが話し合われました。『音読』が話に上がりました。良いことです。話すことや語彙を増やす基本です。そのうち「音読カードはどうするか。」という話になりかけました。ん?それは宿題では?授業ではないぞ。

 僕は音読を宿題で出していません。新採の頃と1年生を担任したときだけ出しました。後は出していません。今年も出していません。別に音読の宿題が悪いとは思いません。我が娘も家で音読の宿題をしています。読むたびに上手になるのですごいなぁと感心しています。でも僕は出しません。なぜかというと、家庭事情もさまざまで、家で読むと聞いてくれる人がいない場合があるからです。クラス30人中29人は聞いてくれる人がいたとしても、1人でも聞いてくれる人がいないならば、その宿題を出すことに抵抗を感じるからです。もちろん1人で読めばいいのかもしれません。でも、たいていの音読カードには「おうちの人サイン」があるわけです。誰かが聞いた証が必要になってくるのです。そういう子は学校で先生が聞くという方法もあります。なら、授業で音読をすればよいのです。それに、音読はやったかやってないかの証がよくわからないのです。何となく出しっぱなしの宿題になってしまうような気がします。ということで僕は音読の宿題を出していません。

 僕がおそらく怪訝そうな表情をしていたのでしょう。同学年の先生はそういうのをすぐ察知します。宿題は宿題としてで、音読は授業の中でも鍛えていこうという方向に話を修正してくれました。また迷惑をかけてしまいました。すみません。

 子どもたちの力を鍛えようと思えば、いろいろな手だてがあると思います。宿題もそうだろうし、朝の会や帰りの会の1分間スピーチも手だての1つでしょう。でもそれって授業外のことです。業間体育とかも同じです。そりゃ、やろうと思えば時間作ればできるでしょう。でも、決められた枠の45分間の授業の中でどう鍛えるかって考えるべきではないのかなぁ。時間作ろうと思えば7時間目でも8時間目でもすればいいのです。あっ、こうなってきたら授業増を考えている文科省と同じパターンになってしまう。

 授業の中で音読を鍛えましょう。1日5分でも1週間で25分。1ヶ月で100分です。30人中29人ではなく、全員の力をつけるのが僕たちの仕事ですから。

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2008年5月 6日 (火)

今日はなぜ休み?

 連休も今日で最後です。8月31日のような空しさはないけれど、何となく寂しいですね。で、そもそもなぜ今日が休みなのか。いったい何の振り替え休日なのか。実は去年、祝日法が改正されたものが施行されたためなのです。どう改正されたかというと、「祝日が日曜日にあたるときは、その日後において、その日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日。」としたためです。つまり、今日は5月4日の「みどりの日」の振り替え休日なのです。日曜日の振り替えをわざわざ火曜日にしてくれているのです。なんて素敵な法律でしょう。ということは今年のようなパターンの場合、ちょっと前までは今日は休みではなかったのです。5月4日が祝日ではなかったですからね。

 春の連休は気候がいいので、行楽にはもってこいですね。でも、どこに行っても人が多いので、たいてい家にいますが。今年もひたすら庭改造と草抜きの日々でした。ちなみに来年の9月は超スペシャル5連休というのがあります。まだ1年以上も先の話ですが、ちょっとウキウキしますね。でも、運動会はどうなるのだろう。まあ、まだ1年以上も先の話ではありますが。

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2008年5月 5日 (月)

ターザン

Photo  「ターザン」を見ました。何度見ても、結構ドキドキします。ジェットコースターに乗っているかの如くジャングルを駆け回るターザンのスピードの速さはビックリです。それにしても仲間とは、そして家族とは何なのかを考えさせられる作品です。

 これを見ていると「アマラとカマラ」の話を思い出しました。狼に育てられた少女たちの話です。まあそれが実話なのかどうかは別として、子どもにとって身近にいる『大人』が生き方の手本になるには変わりありません。ターザンも周りにいる『大人のゴリラ』たちの姿が生き方の手本でした。

 今日は子どもの日です。子どもにとって『大人』である自分がきちんと手本になっているか、手本としての姿を見せられているかどうか、ターザンを見ながら改めて考えさせられました。

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2008年5月 4日 (日)

潮干狩り

 潮干狩りに行きました。干潮の3時間前ぐらいから始めるのが良いらしいです。今日の場合は、11時が3時間前。現地に着くと、ひたすら砂を掘ります。でもなかなか見つかりません。いつものパターンです。

 しかし、今回は行く前にインターネットで潮干狩りのコツを調べました。具体的にヒットするようなことは見つけきらなかったのですが、1つ、「上手そうな人を見つけ、その人の真似をする。」と何とも他人任せの方法がありました。というわけで上手そうな、いかにもプロっぽい人を探しては見たものの、見た目では分かりせん。いかにもっていう感じの人(このいかにもという基準も難しいのですが。)に、「貝、採れましたか?」と尋ねると、「全然。」と一言。バケツの中を覗いたら寂しかったし。

 それでも家族みんなで20個くらい採れました。娘2人もいくつか採れました。これでいいのです。別に貝を得るというのが最大の目的ではなく、貝をみんなで探すという行為そのものが、味わえたのですから。今日もおいしいビールが飲めそうです。

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2008年5月 3日 (土)

庭改造計画(その2)

 朝から家族総出(娘2人は砂遊びですが)でレンガで小道づくりです。腕が真っ赤に日焼けしてしまいました。でも、1日かけてほぼ完成しました。パチパチパチ。

 レンガは事前にホームセンターに注文していたのですが、砂を近くのホームセンターに何度も買いに行きました。砂置き場から車まで荷車で運搬。車の後ろに砂を大量に積むと、車がまるでウイリーをしているような感じでした。そんな様子を見かねたホームセンターの店員さんは、「車をそばまでもってきていいよ。」って優しく言ってくれました。ありがたいです。でも、積み終わった後に言わないでよ。

 4日かけて造る予定が1日で終わりました。よし、まだ3日あるぞ。

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2008年5月 2日 (金)

連休前夜

 「明日から4連休ですが、明日はどうして休みなのか知っている?」とクラスの子どもたちに聞くと、「ゴールデンウイークだから。」と返ってきました。ゴールデンです。今年は、ゴールデンという程の感覚はないのですが、明日から4連休です。うれしいですね。連休も働かれる方、不謹慎でごめんなさい。

 この4日間ですることは庭改造計画の続きです。29日にその1をしたのですが、やっぱりまずかったです。レンガで小道を造っているのですが、ある程度のガタガタは許容範囲だったのですが、あまりにも湾曲してしまいました。やり直しです。まあ、既に掘ってあるので修正すればいいだけですがね(それも大変ですが。)。でも、まだ全工程の1/5しかしていません。明日は、筋肉痛覚悟で、掘りまくりです。

 肉体労働の連休が始まります。これも結構楽しいんですけどね。終わった後のビールは格別においしいしね。 

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2008年5月 1日 (木)

学年活動

 「学年活動」という活動があります。毎年、PTAの学年代表になった方が頭を悩ませる活動です。今日、今年度の活動をどうするかを学年代表の方々と話し合いました。だいたいの方向性は決まりました。それにしても「学年活動」のメリットって何なのだろう。

 基本的に「子どもが主」の活動でないといけないと思います。以前、先輩の先生が「子どもを遊ばせるだけの会なら、別に学校でやらなくてもいい。」とおっしゃっていました。僕もそう思います。前任校の時は、子どもたちが自分たちでレストラン計画を立て、実際に作った料理をおうちの人に食べてもらったり、感謝を示す会を計画し、おうちの人を招待したりしました。PTAの学年代表の方が頭を悩ますようなことはあまりありませんでした。子どもが消費の主になるよりもむしろ生産の主になるべきだと考えました。まあ、前任校は小規模校だったから、自由気ままにできたのかもしれませんが(今でも、結構自由気ままにしてますが・・・。)。

 現勤務校は学年によってはかなり大変のようです(子どもではなく、保護者が。)。それが本当に子どもにとっても、保護者にとっても実になるものならば良いと思いますが。ただ、「例年やっているから。」というよくわからない理由だけで、保護者が苦労するだけの活動には絶対にしてはいけないと思います。中心になってやられる方が、あまりにも大変すぎます。もちろん、誰かが中心にならないといけないのでしょうが。

 本当はなくてもよい活動なのかもしれません。だからこそ、やるならば子どもも保護者も学校という場でしか味わえない何か得るものがないといけないのだと思います。

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