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2008年6月

2008年6月30日 (月)

夏のわすれもの

 たまに国語の教科書の教材に思いっきり感動することがあります。立松和平さんの『海のいのち』や今西祐行さんの『一つの花』も感動しました。たまに読みたくなります。で、今、4年生で学習している教材もかなり感動する作品です。福田岩緒さんの『夏のわすれもの』です。

 おじいさんの突然の死と自省。最後の場面、じいちゃんの形見の麦わら帽子をかぶり、じいちゃんの大好きだった一面に咲くひまわりを見ながら、「じいちゃん、ぼく、ひまわりのようになるからね。」って。心にグッとくる作品です。今日、授業で僕が一読したあと一言みんなに。「いい話よねぇ。」と。もうこの一言で、これ以上授業をしない方がむしろいいのかもしれません。まあ、というわけにもいかないので、明日から主人公まさるの心に迫っていきたいと思います。

 ステキな作品に触れると心があたたかくなります。

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2008年6月29日 (日)

結婚式

 元同僚の結婚式でした。彼は僕の13年の教員生活の中で同じ勤務校にいた唯一の年下の同性です。つまり今のところ唯一の後輩の男子です。僕が現勤務校に来たとき、彼は新採2年目でした。職員室の席がちょうど向かい合わせでした。朝は早くから職場に来て、夜は遅くまで仕事をしていました。よく働く人でした(まあ、若干段取りが悪いかなって気はしますが・・・。)。

 そんな彼がその年、クラスで30人31脚に出たかったそうです。彼は過去に出場した学校の先生から情報とかも集めたそうです。職員会で彼は出てみたいと訴えたのですが、上が出した答えは「NO」でした。練習の時間、道具のこと、保護者への対応等々理由はいろいろあったのですが、最大の理由が「新採2年目」ということのようでした。未だにこのときの職員会の画が頭から離れません。このとき、彼は四面楚歌のような状況でした。上の人は上の人なりに彼のことを考えて判断したことだから、仕方ないのですが。僕は「やりたいのであればやらせてみては。」って思っていたのですが、このときに何も言えなかった自分が情けなくて。

 職員会後、完全に失意の彼は、1人教室に閉じこもってました。僕は「ごめん、助けられなかった。」ってメモを書いて彼の机の上に置きました。今さらメモなんて何の意味も持たないのですが、このときの自分がものすごくイヤでした。職員会のあの場で何も言えなかった自分。何も言わない自分も四面楚歌を作り上げたメンバーの1人です。自分がおかしいのではないかと思ったことは言わないと。流しちゃダメです。あれ以来、多少僕も言えるようになってきました。ただ、ストレートに言ってしまうので、オブラートに包むことを学習しないといけないのですが。

 あれから5年。彼は家庭を築きます。結婚おめでとう。今日のあいさつも立派でした。

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2008年6月28日 (土)

かわいいこねこをもらってください

Photo_2  こんなに感動的な話が課題図書なのか、しかも低学年の。読んで泣いてしまいました、『かわいいこねこをもらってください』。

 子猫を拾って、さあどうしようかという話。大人の感覚として、まあ、いろいろあるのだろうけれど、結局だれかが飼ってくれることになってハッピーエンドで終わるのだろうと思ってしまうのですが、そんな邪念を覆すストーリーです。最終的にはそうなるのですが、そこに至るまでの過程が心が痛くなることばかり。そしてようやく飼ってもらえると決まるのですが、そこから子猫が自分から離れてしまう心の葛藤。たまらなく良い話です。

 さすが課題図書。でも、娘はこれを読んで一言、「おもしろかった。」って。ん?おもしろかった?どういうこと?まあ、いいか。

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2008年6月27日 (金)

行動の欄

 ある1室に今年度の通知票が学年ごとに置かれています。別に通知票を取りに行ったわけではないですが、用があってその部屋に行くと、ほとんどのクラスの通知票が既にありませんでした。当然のごとく、僕のクラスと隣のクラスの通知票は置いてありました。多分1週間後もこのまま、指紋すらついていないような気がします。

 今年度から通知票のシステムが変わりました。自校で作成したものを印刷にかけるのではなく、市の共同で印刷したものに変わりました。この最大の理由は予算と手間です。何かせつないですが。

 今までの通知票とずいぶん変わるところがあります。行動の欄の評価です。今までは大変よい・よい・もう少しの3段階評価でした。しかしこれからは大変よければ○がつく。それ以外は空欄という形です。だから別に良くても悪くても空欄です。大変よいでない限りは。というわけで空欄のところが多くなると推定されます。人によっては○がつかない場合もあります。まるで印の押し忘れかのように。どうなんだろう。

 行動って『○』で計れない面が多々あります。『○』で計ること自体に無理があるのかもしれません。それでも何らかの形で評価をするのが僕たちの仕事です。懇談で口頭で伝えるのも手なのでしょうが、何かもっといい方法はないのでしょうか。なぁんて文句を言っていう暇があれば通知票に取りかかればいいのに。

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2008年6月26日 (木)

説明力

 浄水場に見学に行きました。俗にいう「社会見学」です。まあ、給食までには学校に戻ってきたので、お弁当なしの見学です。この手の見学はよく行きます。実際のものを目で見た方が教科書の中だけと違ってよくわかるからです。ただ・・・、説明される方の話がお世辞にも上手とは言えません。これは仕方のないことです。別にそういうことを専門にやっているわけではないので。でも、説明がよくわからないと子どもたちも騒がしくなります。がしかし、今日の浄水場で説明される方はビックリするほど上手でした。

 きちんとマニュアルのようなものがあるのかな?1つ1つていねいにわかりやすく説明してくれ、子どもたちの質問にも即答でした。説明前に子どもたちが話を聞くような姿勢にさせるのも上手です。圧巻だったのが、途中で友達とケンカをしてしまい泣きべそをかいてしまった子に対して言った言葉。「来てごらん、いいもの見せてあげるよ。」いやぁ~すばらしい。

 1時間ちょっとの見学でしたが、ものすごく充実した時間でした。子どもたちはノートにびっしりメモをとっていました。メモをとりたくなるような場所だし、メモをとりたくなるような説明でした。ありがとうございました。

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2008年6月25日 (水)

うらやましい教室

 研究授業でした。どうしても見たかった先生の授業公開です。おそらく勤務校で1番授業がうまいのではないかと僕が勝手に思っている方の授業です。今まで1度も生の授業を見たことはないのですが、先生の教室の横を通るとき、授業がうまいであろうオーラが頻繁に出ていました。だからものすごく楽しみでした。そして授業。予想を遙かに超えるすばらしい授業展開でした。

 ①テンポの良さ。②例を示してやらせてみせて褒めること。③徹底した確認作業。④大げさに間違えて子どもたちを誘発する技。⑤シナリオを書いたかのように学習したことが1つ1つ繋がっていく流れ。すごすぎです。

 午後からの授業検討で、先生方は細かい発問のことや言葉の捉え方についてうかがっていました。確かに部分をみればそうかもしれません。しかし何といっても教えているのは1年生です。3ヶ月前まで幼稚園にいた子たちです。ひらがなも書けるかどうかの子たちです。彼らに必要なのは部分のこと以上に全体です。45分間楽しく勉強できたという感覚です。もちろんこの楽しさは知的な楽しさです。この教室にいる子どもたちは、学校でしか味わえない知的な楽しさに酔うことができます。うらやましいなぁ。いやいや、本来、先生という仕事は子どもたちにこの感覚を当たり前に味わわせないといけないのです。当たり前なのです。でも、うらやましい。

 勤務校の今年の研究テーマは「表現力の育成」です。子どもたちの表現力を育成するということは、教師の表現力が問われているのだと改めて感じました。今日学んだことをしっかりと生かさないと。うらやましいなんて言ってられないぞ。

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2008年6月24日 (火)

0か19か

 毎年、情報に関する調査ものが文部科学省から全学校に送られます。昨年度までのものを今年度webに打ち込むのですが、完全に忘れかけていた今頃、打ち込んで下さいの通知がやってきました。調査内容はだいたい毎年同じで、学校の所有しているパソコン台数とかLANの整備状況とかです。それに教員のパソコンに関する能力(インターネットが教えられるかとかプレゼンテーションソフトが使えるかとか)まで項目があります。これを調査して何かの役に立つのかな。まあ運良く(?)年度末に事前に調査していたので、すぐに打ち込めました。

 すると今日、市教委からメールが届きました。学校によって打ち込み方にばらつきがあるとのこと。特にばらつきがある項目についての指示が記載されていました。その中で教員が1人1人メールアドレスを持っているかという項目があったのですが、僕は0と打ち込みました。すると市教委の記載では県から1人1人メールアドレスが配布されていますとのこと。確かに配布されています。でも、誰も使っていません。使い方を知れば便利なのかもしれませんが、多分、これから先も使わないような気がします。それにホームページの公開については、どの学校も市からの情報発信のページ内にそれぞれに学校ごとのサイトがあるので、どの学校も公開しているということにって。その中には確かに各学校ごとにサイトはあるけど、現在作成中の表示ばかりだったりするのに。見栄を張りたいのかなぁ。

 なぁんか釈然としないまま、0の数字を19と変えました。まあ、どうでもいい小さなことですが。

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2008年6月23日 (月)

世界のナベアツさんの責任?

 3の倍数と3がつく数字の時だけアホに――。世界のナベアツさんのこのネタについて、教育現場から悲鳴が上がり始めているといったことがYahoo!のトピックスに掲載されていました。それによると、「国語の授業で教科書を朗読させると、数字が出てくるたびに子どもたちが“アホ”になる。最悪なのが算数の時間です。」って。小学校低学年では“倍数”の概念がないため、1から100までどの数字でも全部アホ。算数はまったく授業にならないらしいです。同じ悩みを持つ小学校教員は多いらしいそうです。小学生の子を持つ親も、こんな現状を知れば不安になるだろうといったことが、わざわざ掲載されていました。

 へぇ~、本当にこんなことあるんだぁ。ある意味面白いぞ。でもそれって、世界のナベアツさんのせいでも子どものせいでもなく、単に授業する側の問題なのに。

 まあ1年後には「イチ、ニー、サアン。」って誰もやっていないと思います。でも、1年後にはまた新たなものが登場しているでしょう。そして、またその新たに登場したものを子どもたちがまねるのです。で、それとそれをまねる子どものせいにするのです。だからいつまでたっても改善しないのでしょうね。授業する側の意識を変えない限りは。 

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2008年6月22日 (日)

逆上がり

 下の娘は現在、逆上がりに挑戦中です。ほんのちょっと前に前回りができたのですが、その勢い衰えずといった感じで鉄棒に向かっています。やる気満々です。何度も何度も挑戦します。「よぉーし。」と言って、突然後ろに下がり始めました。助走を加えるようです。しかし、思いっきり助走をしてきて、鉄棒に手をかけるのを忘れてそのまま飛び出したので、1人ドロップキックのようになったりもしていました。一瞬泣くかなって思ったのですが、すぐさま鉄棒に手をかけ始めたました。それなりに根性もついてきました。

 家の倉庫から板を持ってきて、学校とかによくある逆上がり練習機もどきにしてみて、練習しました。小さな体なので、薄い板でも一応役に立ちます。上の娘なら板が割れるかも。

 それにしても何かにやる気になっている姿っていいなぁ。やらされているといった受け身感が全くないし。僕ももっとやる気出さないと。といっても、今日も公園で娘の鉄棒の様子を見ていた以外は、全く生産性のない時間を過ごしてしまいましたが・・・。まあ、そういう時間も必要かな。勝手な自己弁護だけれども。

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2008年6月21日 (土)

中学校の参観日 

 勤務校のすぐそばにある中学校で、1日参観日がありました。現1年と3年が6年生の時に担任していたので、見に行きました。相変わらずでした。

 中学校の授業は小学校の授業とかなり違います。今日はいろいろなクラスのいろいろな教科の授業を見ましたが、どれも違います。小学校の授業が3歩進んで2歩下がるならば、中学校の授業は3歩進んで、また進むといった感じです。多分、教える内容が多すぎるからどんどん進めないといけないのだと思います。僕が中学校の教壇に立って、今のような小学校で普通にしている授業の進め方をしていては、カリキュラムを終えることができないかもしれません。とはいえ、それについて行く子どもたちも大変です。

 年に数回、中学校の授業参観をしますが、参観するたびに考えさせられます。本当にこれでいいのでしょうか。小学校と中学校の違いは。

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2008年6月20日 (金)

終電

 今日は飲み会でした。飲み会会場まではかなり遠いのです(僕だけですが。)。だから、帰りも時間がかかります。終電が22時46分です。まだ後にも電車があるのですが、ぼくが降りたい駅まで行ってくれるのが、これが最後です。

 終電ということで、電車内は結構な混みようです。完全に疲れ切った(飲み疲れた?)方もいらっしゃいます。4人がけの椅子の向かい側の席まで足を伸ばして寝ている方もいらっしゃいます。僕はあえてそういう人のところへ座ります。なぜなら、確実に座ることができるからです。足を伸ばしていた方も、本当はいい人なのです。僕が座ると、何かをさっしたのか、足を伸ばすのをやめてしまいました。

 終電は人間模様の縮図のようで面白いです。でも、終電まで飲んでいる自分も悲しいのですが・・・。

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2008年6月19日 (木)

33093人

 昨年1年間の自殺者は33093人。10年連続で3万人以上の方が自ら命を絶っています。このうち30歳代の自殺者は過去最高だったそうです。仕事疲れなのかなぁ。

 自殺の原因もさまざまでしょう。一概にこれというのはなく、いろいろな要因が複雑に絡み合ってのことかもしれません。本当に苦しい思いをしていたのでしょう。でも・・・。でも、やっぱり死んじゃダメです。死ぬ勇気があれば、そのエネルギーを生きることに向けないといけません。

 死んじゃダメだよ。冷えたビールの一口目、澄んだ空の朝焼け、かわいい子の笑顔、きらきら光る海の青さ、チャップリンの独裁者の最後の演説・・・。死んだら些細な幸せすら味わえないし。

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2008年6月18日 (水)

便利さへの甘え

 秋葉原の事件以来、ネット上での犯行予告が相次いでいます。今日も1人、偽計業務妨害で茨城県の人が逮捕されていました。むしゃくしゃしていたからしたそうですが、何とも悲しいほど地味なむしゃくしゃの解消法です。

 むしゃくしゃするときなんて誰でもあります。解消法は人それぞれでしょうが、お酒を飲んだり、パッと騒いだり、誰かに愚痴を聞いてもらったりして、むしゃくしゃ感を取り除きます。しかしまた、なぜ携帯電話の小さな画面にむしゃくしゃをぶつけるのでしょうか。文句も言わずに相手になってくれる道具だからでしょうか。

 携帯電話という便利な道具が登場して以来、世の中が180度変わったような気がします。かなり便利な道具です。これがあれば、会話だけではなく、買い物もできます。写真も撮れます。テレビも見られます。そして、見知らぬ誰かとも接点を持つこともできます。しかし、この便利さに世間は完全に甘えきっているような気がします。

 誰かと食事をしている最中でも平気で携帯で会話をする人、殺人現場を平気で写真に撮る人、そして自分のむしゃくしゃを解消するために平気で書き込みをする人。便利だからといって何でもありではないでしょう。マナーとかルールとかモラルが守られた上で便利さは価値を見いだします。便利さにおぼれるような甘ったれた使い方しかできないのであれば、携帯を持ってはいけません。

 携帯電話はコミュニケーションを取ることができる優れた道具です。しかし、ごく普通の面と向かってのコミュニケーションが成り立っているからこそ、生かされる道具であるということも忘れてはいけません。ごく普通のコミュニケーションがとれていないのに、携帯という安易なコミュニケーション制作マシンで誰かと繋がろうったって、無理な話です。

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2008年6月17日 (火)

20年前の事件

 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚の死刑が、東京拘置所で執行されたそうです。判決確定から2年余り。宮崎死刑囚は再審請求の意向を示し、死刑制度を批判する手紙も公表したようですが、鳩山邦夫法相は早期の執行を決断しました。社会を揺るがした特異な事件の発生から20年。法廷で不可解な発言を繰り返した男からは、最後まで反省や謝罪の言葉は聞かれませんでした。 

 「絞首刑は残虐」。宮崎死刑囚は、月刊誌「創」の篠田博之編集長に宛てた手紙の中で現行の死刑制度を批判する持論を再三展開しました。宮崎死刑囚は現行の絞首刑について「踏み板(床板)がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどん底におとしいれられるのである。(人権の軽視になってしまいます。)」と主張。薬物注射による執行の導入を訴えていました。

 事件当時、僕は高校生でした。骨を被害者宅の玄関先に置くという異常性。今でも覚えています。幼い子4人を殺害していて、己の死刑に関しては「人権の軽視」と考えられること自体に腹立たしさを感じますが、なぜ4人は殺されなければならなかったのか、結局、最後までわかりませんでした。

 彼がこの世を去ったとしても、残された遺族の悲しみが消えるわけではありません。  

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2008年6月16日 (月)

YouTube

 今日はお休みです。午前中はひたすら庭の草抜きを。生産性のある活動をしました。午後は全く生産性のないボーっとした時間を過ごしました。そしてボーっとインターネットでYouTubeを見てました。誰がどこから動画をこんなに集めてきたのか知らないけれど、すごい世の中です。

 しかし著作権がかなり問題になるなぁって見ながら感じました。YouTube側も違法性があるものはどんどん削除しているのでしょうが、これだけの量があったら対応できないでしょうね。結局は投稿する側のモラルが問われるのだと思います。

 YouTubeでチャップリンの独裁者の最後の演説を何度も見られるので、僕はそれだけで大興奮です。みんなが気持ち良く閲覧できるよう、利用者がきちんとルールを守らないとね。 

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2008年6月15日 (日)

私語はなくならない?

 上の娘の参観日でした。授業は国語の話す聞くの教材。迷子のアナウンスをするというもの。「ウオーリーを探せ」のアナウンスヒントつき版といったところでしょうか。マイクと鉄琴で演出効果もありました。

 大勢のギャラリーの中でみんな緊張しているよう。いつも以上に声が小さくなっているようです。後ろにいる僕らのところまで声が届きにくかったのですが、それでも子どもたちはよく聴いていました。ちゃんとアナウンスされていた子を教科書の中から探していました。しかし、声が届きにくかった原因は、子どもの声の大きさというよりも、周りの保護者の私語だと思いました。教室の中にいる方はそれほどでもなかったのですが(それでもよくしゃべってはいましたが。)、廊下にいらっしゃる方の声は、授業を受けている子どもたちの学習意欲さえ奪うのではないかというほどに、僕は感じました。

 「授業」という場は僕らにとっては真剣勝負の場です。授業参観はその場を公開しているのです。そして、その場にいる子どもたちの様子を見ていただいているのです。井戸端会議のために学校を公開しているわけではありません。

 でも、「人のせい」にしても仕方ないので、保護者に井戸端会議をさせないくらいの授業をしていかないといけないのでしょうね。まあ、学校から授業参観中に私語をしてはいけないという啓発は必要でしょうが(それも悲しいことではありますが。)。現状を変えるには、相手に求めるより、自分を向上させることの方が能率的ですから。

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2008年6月14日 (土)

自己嫌悪

 今日は土曜日ですが、参観日でした。土曜日ということもあってたくさんの人が学校へ来て下さいました。ありがたいことです。ところで、この日にあわせて、教材業者が夏休みの工作セットや読書感想文用の本を販売したりもします。そのための大きな封筒が1人あたり5枚も事前に各クラスに配られていました。どうして、学校がこんなものを配らないといけないのか、保護者によっては学校から配布される封筒なので買わないといけないのではないかと考えてしまう人もいるのではないかと、かなり抵抗があったので配らずにいました。が、兄弟関係で既に配られていた子が「先生、配らないのですか?」と尋ねてくるので、とりあえず配りました。

 で、今日のすべての行事を終え、職員夕会が行われました。そして、たまたまその教材業者の話題になりました。同学年の先生は「やんわり」と業者のものを学校が斡旋するようでおかしいのではないかということを言われました。この「やんわり」が、僕にはできないのです。僕は、「やんわり」のかけらもなく思いっきり、「おかしいと思います。」と言ってしまいました。その後も、かなり強い口調で言ったような気がします。ものすごく自己嫌悪です。

 ストレートに言えばいいというものではないのに、あっさりと言ってしまう自分が情けないです。反省、反省。もっと、大人にならないと。

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2008年6月13日 (金)

風と光と二十の私と

 国語の授業で毎日音読に取り組んでいます。音読の題材は毎週変わります。詩集やら齋藤孝さんの本やらから抜いたりしますが、ほぼ、僕の個人的好みです。子どもが読みやすいとかというよりも、ちょっと道徳的なようなものが多いですが。

 今週は坂口安吾さんの『風と光と二十の私と』。なぜこれを音読の題材に取り入れたかというと、

 善いことも悪いことも自分1人でやるんだ

 というフレーズが好きだからです。別に悪いことをしても良いというわけではありません。コンビニの前にたむろしている中高生のようでは困るということです。1人じゃ何もできないのに、何人かが集まれば数の多さだけで歪曲した優越感を持つ情けなさ。自分1人で勝負できないと。

 例え99人が右に行こうとも、左が正しいと思えば1人でも左へ進まないと。正しさを判断するのは、みんなではなく自分なのだから。まあ、ある程度の協調性も必要ですが・・・。特に僕は。

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2008年6月12日 (木)

親が子どもを守る姿

 ある事情があって、4年前に担任した子の保護者に電話をかけました。4年前と変わらずの声のトーン。元気そうです。

 この保護者の子には障害があります。4年前に6年生を担任していたとき、この保護者にずいぶんと怒られたことがあります。しかも参観日の授業終了後に。なぜかというと、この子が縦割り班の班長だったからです。まあ、それ自体は問題がなかったのですが、その参観日の時に他の保護者に「班長で大丈夫?」のようなことを言われたらしいのです。僕自身も彼が班長になったということは保護者に伝えていませんでした(クラスの6割以上は6年生なので班長になるのですが。)。それで、怒られてしまいました。その後、話をして納得していただきましたが、もっと連携をはかるべきだったと反省しました。彼はもう高校生です。月日が経つのは早いものです。

 電話の中での保護者の言葉が印象的でした。

 「先生、親が子どもを守ってやるっていう姿を見せないとね。」

 この方と話していると、『親』を感じます。本当に素敵な方です。 

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2008年6月11日 (水)

A4一枚のコメント

 研究授業でした。勤務校の今年のテーマは「表現力の育成」です。というわけで、『普段通り』の授業をしようと思いました。研究授業のためだけの授業ならば、その場限りに終わりそうだからです。もちろん、その1時間にものすごく力を込めることも必要です。ただ、表現力は1回の授業でつくというものではありません。日々の繰り返しです。だから、日々繰り返すことのできる授業展開を。教科書とノートとチョークで勝負する授業を提案しようと・・・というと聞こえはいいですが、ようはあまり研究をしていないということにもなりますが・・・反省、反省。

 朝、子どもたちに教室の後ろに椅子を並べてもらいました。そして、子どもたちに「後ろの椅子、気になる?」と聞くと、当然、気になる様子。で、「今日のどこかで誰かが座って、みんなの様子を見に来るの。みんなはかしこいから。」と言いました。ちょっとハニかんでいました。

 研究協議の前に職員室に降りると、教務の先生からA4一枚に今日の授業についてのコメントが書かれていました。協議終了後には教頭先生もA4一枚にコメントが書かれた紙を下さいました。本当にありがたいです。子どもが宿題の日記を書いて提出し、そして返された日記帳の先生のコメントを喜んで読む気持ちと同じです。またがんばろうって思いますから。まあ、本当にがんばらないとコメントを書いて下さった行為に対して失礼ですからね。 

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2008年6月10日 (火)

犯行予告の携帯サイト

 秋葉原の通り魔殺人の容疑者は、事件を起こすまでの経緯を携帯電話サイトの掲示板に克明に記していたようです。過去にも犯行を予告する殺人事件はありましたが、実況中継のように事件に至る経緯をつづるのは異例です。アクセス方法さえ知っていれば、誰でも見ることができる手段を使って凶行に及んだのはなぜなのでしょう。

 いろいろな考え方があります。誰かに気づいてもらいたかったのかもしれません。ただの自己顕示かもしれません。しかし、ネットワークという繋がりはあくまでも画面上のものなのです。面と向かった心と心の繋がりではないのです。この掲示板には事件当日までに3000件ものアクセスがあったそうです。しかし、容疑者の冷たいコメントに利用者がどんどん離れていったようです。そして、当日の犯行予告の掲示板には自分の書き込みしかなかったようです。繋がりたいのに繋がらない。誰もが入り込めるネットワークの世界なのに、自分しかいない状態。それでも、彼は頻繁に書き込んだのは、やはり『誰か』を求めていたのでしょうか。そして、不特定多数の『誰か』の命を奪ってしまいました。

 『誰でもよかった。』という容疑者の言葉。そして、親や教育や社会といった『誰か』に責任を見いだそうとするマスコミやジャーナリスト。見えない『誰か』を追い求めている僕たちが、1番見えていないのは、本当は『自分』なのかもしれません。 

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2008年6月 9日 (月)

教師 大村はま96歳の仕事 

Photo  図書館で借りた大村はまさんの本。彼女の本を読むと、『教える』ということは何なのかを改めて考えさせられます。

 「子どもに考えさせる」「子どもを生かす」「子どもの力で遂げさせる」といったような美しい言葉で、戦後は喜ばれました。でも、そんなことをしていて、子どもたちに言葉の力がついていくなんてことはないと思います。考える焦点ぐらいは示さなきゃ、ヒントぐらいは出さなきゃ。何もしないで子どもをにっこりさせることしかしないから、怠慢なものになってしまったのだと思うのです。

 種を植えても、水をやらないと芽は出ません。肥料を与えないと大きくなりません。日光に当てないと色つやが良くなりません。僕らの仕事は、水であり、肥料であり、日光であるのだと思います。いくら種に「がんばれ!」と言っても芽は出ません。しかし、どう水を与えるか、どう肥料をまくか、どの程度日光に当てるかを見極める力をつけないといけませんね。

 トマトは水をあげすぎると甘みがでません。キュウリは水をたっぷりあげないといけません。子どもたちも三者三様。怠慢にならないように気をつけないと。

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2008年6月 8日 (日)

「コピー」を求める人

  東京の秋葉原の電気街で、赤信号を無視して突っ込んできたトラックに横断者がはねられ、降りてきた運転手に通行人がサバイバルナイフで次々と刺された事件。7人の方が命を失ったと報道されています。被害者遺族のやり場のない怒りはどこに向ければいいのでしょう。つらいです。

 今回の通り魔事件では、容疑者の逮捕・連行写真を携帯電話で撮影した人の周りに人だかりができ、自分の携帯に赤外線送受信でコピーする人たちが目立ったそうです。目撃情報を集めていた記者は、通行人の女性から赤外線受信で写真を入手。この女性も、逮捕現場にいた別の女性から赤外線受信でコピーしていたそうです。2人は他人同士だったらしいです。女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ。」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたそうです。

 この写真は誰かのためになるの?被害者のためになるの?今後の犯罪抑止のためになるの?その写真は何のために使われるの?ただ、友達や家族に見せるため?単なる証拠写真?被害者遺族は「コピー」を求める人だかりに何を思うでしょう。

 犯人、被害者、警察、そして写真を撮る人、さらに「コピー」を求める人。被害現場にいる人たちの立場があまりにも違いすぎます。これは正しいのでしょうか。違和感があるのですが。何か間違っていないですかね、「コピー」を求めるって。 

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2008年6月 7日 (土)

両面の参観日

 「父親参観日」という明らかに父親がメインになる参観日が幼稚園で行われました。今日のテーマは廃材を利用しての車づくり。制限時間は40分間。事前に案を考えていたので、てきぱきと作れたのですが、時間ギリギリに完成。立派なお花畑カーができました。

 次にホールに行って、作った車でカーレースを行います。ホールに行くと、すでに会場ができていました。ここの幼稚園は、イベントの準備や企画が抜群です。作った車がどこまで進むかで勝負します。でも、タイヤがフイルムケースのふたなので、たいていそんなに進みません。そんな中でも、作り方がいいのか、押し方が上手なのか、10mくらい進む車もちらほら。そのたびに大歓声が。ちなみに我が娘の車は1m進んでクルクルと回転して止まりましたが。

 その後、作った作品の特別賞が表彰されます。我が娘の車がかわいい作品ということで表彰されました。大勢の前で表彰されるので、娘はかなり緊張した様子。でも、もらった表彰状がよっぽど嬉しかったのでしょう。作った車よりも大事に持っていました。

 来週は上の娘の参観日です。その前日は、勤務校の参観日です。保護者として、そして教師として、両方の立場から参観日というものが経験できるのは、幸せなことです。

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2008年6月 6日 (金)

教育実習終了

 教育実習が終わりました。今日は査定授業。校長・教頭・教務のトップ3が授業を拝見。しかし、実習生は堂々としたモノです。今までの中で最高の授業展開でした。今日は、分度器の最初の使い方なので『確認』を大事にしていこうと話はしていました。テンポ良く確認ができました。パチパチパチ。

 そして6時間目、秘密のお別れ会です。実習生はその存在を全く知りません。子どもたちとの打ち合わせ通り、普通に算数の授業がスタート。そして、何事もないかのごとく、普通に進行。そして突然、ある1人の子が「先生のお別れ会をしましょう。」と言って、突然、みんなが輪になり始めます。実習生は何のことかわからず、ビックリ。でも、こういう時ってクラスが1つになったと感じます。

 この2週間は学ぶことが多かったです。もう2度とないことかもしれませんが、授業の原点に振り返れた気がします。こんな機会を与えて下さってすべての方に感謝です。ありがとうございました。

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2008年6月 5日 (木)

忙しいという幸せ

 今日の帰宅は22:30。何か忙しい日でした。放課後に明日の実習生の査定授業の方向性を練って、自身の研究授業のオリエンテーションがあって、図書室のパソコンが壊れたのを直して、明日で実習生とのお別れなので、さよならDVDを作って・・・で、こんな時間になってしまいました。

 昔、中学校の先生に「人間は忙しいときの方が良く動ける。」と言われました。確かにそうです。段取りも良くなります。だらだら過ごさずに、それなりに結構てきぱきと動けているような気がします。でも、ちょっとフラフラです。

 しかし、忙しくできるというのは幸せなことかもしれません。明日も忙しい日になりそうですが、その幸せをかみしめて過ごしましょう。

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2008年6月 4日 (水)

実習生の授業(その2)

 ここ最近、指導案を毎日見ています。実習生の指導案だけではなく、来週は自身の研究授業も控えているからです。指導案を書くとなるとそれなりにエネルギーを使いますからね。まあ、それなり・・・ですが。

 教育実習も終盤に入ってまいりました。あと2日です。あさっての実習生の研究授業に向けて、案を練りました。単元は角度で、分度器の使い方です。明日の導入とあさっての第2時ともに実習生が行います。今まで学んだことから、とにかく『やることのないヒマな人を作らない。』ということで、プリントもたくさん作りました。これで早くできた人とまだできていない人の差をカバーします。さて、どうなることでしょうか。

 実習生もこの2週間で学ぶことが多いでしょうが、それ以上に僕自身が学ぶことが多いです。子どもへのことばのかけ方1つをとっても、考えさせられます。やはり、教師というのはそれなりにプロでないといけないのだと思います。プロになるためには鍛錬するしかありませんね。

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2008年6月 3日 (火)

ビックリ161円

 いつの間にかガソリン代が上がっていました。しかも衝撃的な価格。そういえば6月1日からガソリン代が上がるっていっていたような気がします。忘れてました。今日はサービスデーで1リットル161円。もうビックリです。地域の中での最安値でこれです。30リットル入れたらもう5000円近くなります。4月は5000円あれば40リットル入っていたのに。

 自衛策を考えなければいけません。仕事に行く手段とか公共交通機関を使うというのも手かもしれませんが、そういうことができるのは都会的な発想です。地方は車頼みです。そして基本的に休日は車を使わずに家でじっとしていなさいということになります。家族でドライブなんてできなくなってしまいます。悲しいねぇ。

 このままの勢いでいくと、もう近いうちに200円になっちゃうのかな。ガソリン代が上がって、誰が得しているのだろう。ほんの一握りの金持ちの傲慢で、全世界の人が悲鳴を上げています。それを誰も阻止できないのでしょうか。ん~。

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2008年6月 2日 (月)

「有害情報は見せない。」だけでいいの?

  18歳未満の子どもをインターネットの有害サイトから守るための議員立法が今週中に衆議院の「青少年問題に関する特別委員会」に委員長提案として提出され、今国会で成立する見通しです。法案は携帯電話会社に対し、子どもがネットで有害情報を閲覧できないようにするフィルタリングサービスの提供を義務づけるそうです。パソコンメーカーには、フィルタリングソフトの組み込みを義務づけるそうです。出会い系サイトなど有害サイトに絡み、子どもが事件に巻き込まれるケースが全国的に多発していることから、与野党が共同で法案を提出し、今国会で成立を図ることで実効性のある対策を目指すようです。

 フィルタリングの質もあるのでしょうが、『何が有害情報なのか。』が最大のポイントになりそうですね。出会い系サイトや自殺サイトのようなモノは明らかですが、ブログはどうなのだろう?チャットは?危ないと思われるモノをどんどん遮断していけば、有害情報が見られない代わりに、ネットワークの便利さはどんどん失われていきます。

 学校のネットワークシステムでもブログやチャットは見ることができません。まあ仕方ないと思う反面、ブログやチャットのリアリティのある授業ができないのも寂しいです。口で言ったところで、あまり伝わらないですからね。

 子どもたちに有害情報を見せないという発想は悪いとは思いません。でも、モグラたたきのような気もします。見せないといっても、どこからともなく見せたくない情報が子どもたちの目に耳に飛び込んできます。そんなものです。たとえ情報が飛び込んできたとしても、自分で正しく処理できる判断力を子どもたちにつけさせないといけないのだと思います。

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2008年6月 1日 (日)

改正道路交通法

 今日から改正道路交通法が施行されました。13歳未満の子は歩道を自転車で通っても良いことになりました。つまり小学生です。まあ、自転車は『車』の扱いですから、車道を通るのが当たり前ですが、小学生がフラフラと車道を通っている方が危ないですからね。しかし、人が1、2人しか通れない歩道も小学生は自転車で通っても良いことになります。これはこれでかなりアクロバットなような気もしますが。

 そもそも自転車が通る場所がないのです。たまに自転車専用の道路のような場所を見かけたことがありますが、ごく稀です。まあいってみれば線路がないのに、電車が走っているようなモノです(ちょっと違うか。)。とにかく自転車は危ないのです。

 車を運転していると特に感じます。前に自転車に乗っている人がいれば、ものすごく不安を感じます。それが細い道だったら余計にです。でもこういうときって、車に乗っている人もイヤだけど、自転車に乗っている人も「何でこんな細い道を車で来るんだよ。」って思っているのでしょうね。物事って自分中心に考えがちになりますから。

 13歳未満の子が自転車に乗る際のヘルメット着用が保護者に努力義務を課せられました。この努力義務という猛烈に曖昧な表現ですが、もう何年か経つと努力義務の努力がなくなって、『義務』になるのじゃないのかな。あのときヘルメットを被っていればでは遅いですしね。それくらい自転車に乗るって危険なことであるということ、大人は子どもに教えないといけないのでしょうね。

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