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2008年10月21日 (火)

音楽祭の是非

 音楽祭です。市内の数校が一同に集まります。会場には開演40分前に到着。会場に入ったらすぐに立ち位置のリハーサルとかするのですが、どこの学校もものすごくピリピリした感じ。まあ、うちの学校は社会見学のような気分でしたが。ステージから客席を眺めたら、素直にうわぁって感動しました。ちょっとした芸能人気分です。それにしても、どの学校の先生方も目つきが厳しいです。いかにも本番って感じです。本番だからって肩肘張らずにすればいいのに。いいところを見せようと思うからいけないのに。普段以上のことを望んでも仕方ないのだから。普段通りでいいのです。本番は特別なものではなく、練習の延長線上にあるものです。別に本番がゴールではありません。

 とはいえ、本番は緊張するものです。この緊張感は結構楽しいのです。子どもたちは相当緊張していたようで、合奏はものすごいスピードでした。僕もそのスピードに合わせて指揮をするのに必死でした。本当は指揮がコントロールしないといけないのですが、僕にはそんな実力ないですからね。でも、子どもたちは本当にすばらしい演奏でした。別に彼らは今日の本番だけがすばらしかったわけではありません。今までもすばらしかったのです。練習の積み重ねが身になっているのです。だからすごいのです。

 しかし、今の形式のような音楽祭は本当に必要かとなると、やはり疑問符が付きます。大舞台でできるというすばらしい経験を得ることができます。それにそれなりの音楽的実力がつきます。実際に、リコーダーを上手に演奏できなかった子たちが全員できるようになりました。これは音楽祭が存在するおかげです。ただ、音楽祭のために莫大な時間をかけているのも事実です。その分、他の時間が削られるわけです。授業時数の問題が叫ばれ続け、始業式や入学式当日から給食を始めたり、2学期制を取り入れる学校が出ている中での時間の使い方として、今の形式で正しいのでしょうか。

 例えば、課題曲は教科書に出ているものと限定するならば、大幅に時間は削減されるでしょう。もちろん、派手さはなく、見ている側としてはつまらないと思います。でも、もう大胆なてこ入れが必要な時期に来ている気がします。やるべき行事は変わらずに、さまざまな学習する内容だけがどんどんと増えでは、結局大変なのは子どもたちです。ゆとりのない中から、いかにゆとりを作り出すかは、大人の正しい判断が必要です。毎年やっているから今年もやろうという甘い判断はもう通用しないような気がしますが。でも、変わらないのだろうな。

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