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2010年4月30日 (金)

葛藤

 道徳の授業をするときに、どうしても避けては通れないモノがあります。それは副読本です。道徳の副読本を高いお金で個人個人が購入しています。だから使わざるを得ません。この副読本、実に素晴らしいことが書かれています。だから、読み物としては最高によいモノです。変に授業をしてごちゃごちゃにするよりも、お話を読んだだけで終わった方がスッキリするような気もします。でも、そういうわけにもいきません。ただ、道徳の授業をするとなると、ん?となってしまいます。なぜなら、葛藤する場面がほとんどないからです。もちろん、授業の上手な方がされると子どもの心が揺らぐのでしょうが。そういえば、ある附属の先生が、「葛藤する内容のない教材は使わない」と言っていました。となると副読本は使ってもらえなくなります。

 副読本の存在はある意味、安心感を与えます。その安心感というのは、0から教材を作る必要がないという安心感であり、道徳の授業をないがしろにしないという学校や市教委視点の安心感であり、きちんと道徳の授業をしているぞという建前にもなる安心感です。でも、この副読本に縛られると、目の前にいる子どもたちに、今、この瞬間につけたい道徳的価値観を教えられません。

 以前、市教委の方に「年間指導計画にないモノをやっているのは如何なものか」と間接的に(言うなら直接言ってもらった方がありがたいのですが)注意されたことがあります。さまざまな道徳的価値観を教えるのは、僕たちの義務なのは分かります。しかし、今、子どもたちに言葉について考えさせたい、いじめについて考えさせたいというところなのに、計画に沿って「自然の大切さ」なぁんかをやっても響きません。

 とはいえ、副読本が実際にあります。一応、年間計画は副読本に沿って立てられています。まあ、僕は市教委の方の忠告を無視して、年間の半分は、自分が勝手に資料を持ってきたり、自作のモノで授業をしていますが。道徳の副読本は一般向けです。万人には受けます。でも、本当に道徳的価値観を伝えなければならない子たちには彼らにピンポイントの教材を提示する必要があるのです。

 週に1度の道徳。副読本を使うか否か。子どもよりも葛藤させられています。

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